追悼特集表紙
大学選手権を制した関大

東京六大学リーグ以外の大学としては初めて全日本大学野球選手権を制した関大野球部の選手たち(昭和31年撮影。前川洋さん提供)



村山さんの活躍を報じる新聞

村山さんの活躍を報じる当時の新聞紙面(デイリースポーツ提供)

関大を牽引した2年生トリオ



 「ミスしないよう先輩に気をつかった」と当時を振り返る梅田寿男さんは選手権3試合でセンターのスタメンで出場。関大はピッチャー・村山実さん、キャッチャー・上田利治さんと、センターラインには若々しい2年生をそろえ、関東の強豪チームに立ち向かった。
 村山さんは「ズッシー、ズッシー」と重い球を投げ込む炎のエース。上田さんは「リードが上手かった」と先輩から評された頭脳派キャッチャー。梅田さんは2番打者としてチャンスメーカーとして活躍。守備の要の関大センターラインを、2年生3人は必死に守った。
 梅田さんは「僕たち3人はウエ(上田)、ムラ(村山)と呼ぶ仲。いつもミスしないよう気をつかいながらプレーしていた」とは言うが、試合中では「余分なことを考える余裕はなかった。野球に完全に打ち込んでいた」と当時を振り返る。
 「一目をおいていたし、実力もあった」と先輩たちが口をそろえるエースの村山さんは選手権3試合とも連投につぐ連投だったが、持ち前の快速球とシュート、選手権前の合宿で覚えた“鋭いカーブ”を武器にビックネームをそろえる優勝候補・早大や日大を、当時から機関車投法と言われた粘りのピッチングで見事抑えた。
 関大は選手権前に長野県飯田で2週間の合宿をはり、直接東京に乗り来んだという。梅田さんは「こんな苦しい練習はなかった。しぼられた」と昔の思い出を語る。
 村山さんが覚えた“鋭いカーブ”とは何だったのか。「当時では一般的に認識されてない、今で言うフォークだった」と梅田さん。良きライバルで同じく当時2年生だったピッチャーの前川洋さんは「あのカーブは今でいうシンカー」と語る。当時の新聞には、速球とほとんど変わらないスピードをもつ、ブレーキのかかった鋭いカーブと書かかれている。
 選手権中、気晴らしで宿舎をよく飛び出し、ぶらぶら散歩に出かけたという仲良し3人組は並み居る先輩たちのなか、はつらつとしたプレーでチームに活気を注いだに違いない。【記事中の肩書きや名前は記事が掲載された1998年当時のものです】