追悼特集表紙
大学時代の村山実さん

1957(昭和32)年の秋季リーグ前の村山さん。撮影時に30分遅刻し、ほかの選手をムッとさせたという(前川洋さん提供)

阪神タイガース入団秘話



 全国の大学が「打倒・東京」に燃えていた。関大は打倒・東京の一番手に数えられ、大学野球界から注目された。高校、大学と関西の土壌で野球を学んだ村山実さんはプロ野球でも阪神タイガースに入団し、関西にこだわり続けた。
 「東京に負けてたまるか。全員がそういう気持ちだった」と森本達幸さん。「意識が関東。そういうなかで気持ちが阪神にいったかも」と竹内勝一さんは話す。当時はドラフト制度もなく、各球団の自由競争時代。実際、村山さんには巨人と阪神の両チームから声をかけていたという。
 村山さんが肩の故障で試合に出られなくなった時でも、阪神だけは声をかけ続けていたという。「阪神がずっと声をかけていたし、本人も阪神ファンだった」(原田享さん)「タイガースにほれていた」(森本さん)とチームメイトは話す。村山さんの悲壮感すらも漂う「ザトペック投法」は大阪の土壌にあっていたのかもしれない。
 当時の阪神タイガースには関大野球部出身者が多数いた。「そういう意味でも文句はなかっただろう」と竹内さん。
 選手権で初優勝を遂げた時のメンバーで、プロ野球に入団したのは村山さんのほか、平井嘉明さん(毎日オリオンズ=現千葉ロッテマリーンズ)、上田利治さん(広島東洋カープ)、難波昭二郎(読売ジャイアンツ)、原田享さん(中日ドラゴンズ)らがいる。関西の名門らしくプロ選手を多数輩出している。
 村山さんは大学入学前、立教大のセレクションを受け不合格。その時の立教大には将来、永遠のライバルとなる長嶋茂雄さんがいた。関大在籍時、第6回全日本選手権では連覇を阻んだのは、準決勝で対戦した長嶋さんがいる立教大だ。村山さんと長嶋さんは、見えない運命の糸でつながっていたのかもしれない。【記事中の肩書きや名前は記事が掲載された1998年当時のものです】