追悼特集表紙
大学選手権を制した関大

東京六大学リーグ以外の大学としては初めて全日本大学野球選手権を制した関大野球部の選手たち(昭和31年撮影。前川洋さん提供)



村山さんの活躍を報じる新聞

村山さんの活躍を報じる当時の新聞紙面(デイリースポーツ提供)

再現・第5回全日本大学野球選手権決勝



 日本大との決勝の試合序盤は、「機関車投法」の関大・村山と、下手投げの日大・島津の両エースの投げあい。日大は4回表に蜂谷の適時打で先制。しかしその裏、関大も相手守備が内野ゴロの処理にもたつく間に、3塁から上田がホームに帰り、同点に追いつく。
 そして、6回裏1死1塁。関大の川村監督がここまで無安打の西出に代え竹内を代打に投入。振り抜いた当たりは右中間への3塁打。走者の難波が帰り、これが決勝点となり、関大は初の日本一になった。

決勝打の竹内「ただ、がむしゃらに走った」


 村山は関西六大学リーグから連投続きだったが、立命館大戦では延長15回を完封勝ち。選手権に入っても決勝までわずか早大戦の1失点のみ。「連投の中、日に日に調子を上げた」(難波)。その村山が4回につかまり、日大に先制点を許したが、すぐに同点に追い付く。
 そしてつかんだ6回裏のチャンス。名将・川村監督が動く。ここまで調子の出ない西出に、選手権に入っていまだヒットの出ない代打・竹内を送る。「いけっ」と監督のげきが飛んだ。
 島津をリードする日大捕手・日置は「大阪なにするものぞ」と気を引き締める。「実際、打てるかどうかわからなかったが、とにかく1球から降りにいった」(竹内)。2ストライクまで追い込まれたが、外角から真ん中に入ったボールを引っ張り、ボールを右中間へ運ぶ。
 「まわれ、まわれ」。コーチャーやベンチ、観客席から声が飛んだ。竹内は「打ったボールを確かめないくらい、ただ、がむしゃらに走った」。このヒットで、3塁から難波が生還した。
 「1点リードすれば勝てる自信があった」(原田)と言わせるほど村山の調子は最高だった。村山は最後まで速球勝負、ここまで好調だった日大打線を抑え、完投勝利を飾った。「優勝よりも、東京に何がなんでも勝ちたかった」。難波のコメントに関西野球の誇りを感じる。